私達「パパとママ」は、ふと訪れたネパールが気に入り標高1,400mに位置する首都カトマンズの郊外に住んでいました
ある日、仕事前にたまたま通った道で、1匹の可愛いオスの子犬を見つけました
その子は建設中の店の軒先の隅っこでぼろ布の上に丸まっていました
近づくと何かを訴えるような目で私達を見上げました
よく見るとバイクに轢かれたようで、泥だらけで後ろ足に怪我をしていました
クッキーをあげてみましたが、食欲はなく少し熱がありました
足の痛みで動けなかったようで、水筒のお水をあげると一気に飲みました
私達はとても心配だったので、仕事の後でまたそこに戻り用意した段ボール箱にそっと入れて、子犬を私たちの家に連れて帰りました
しかし身体をキレイにしたり、エサや栄養剤を与えて世話をしましたが全く元気になりませんでした
そこで家からバスで2時間の裕福な外国人街の獣医のところに連れて行くことにしました
そこはネパールで数少ないレントゲンや血液検査が出来る動物病院です
精密検査の結果、子犬はなんとパルボウィルス感染と分かりました
それは早期治療をしないと死に至る感染症で、ネパールでは予防注射をしていない沢山の野良犬達がパルボによって命を落としています
でも、嬉しい事に彼は早期発見ですぐに入院したので大事には至りませんでした
それ以前の私たちは3㎡の物置のような獣医とか、建物は立派でも設備が殆どない獣医しか見つけられませんでした
そこではパルボウィルスも診断できません
食欲がないのはお腹の虫のせいだと誤診されてしまいます
しかし私達はようやく出会えた優秀で親切な外国人街の獣医さんのお陰でそこから先は沢山の野良犬の命を救えるようになったのです
そのネパール人獣医師は野良犬でも嫌がらずに丁寧に診察してお金のない私達を色々と助けてくれました
彼がいなければ救えなかった野良犬が沢山います
私達は本当に良い獣医と出会えました
そして私達はその子犬をマロと名付けました
由来は何百年も前の日本の貴族の丸い眉の化粧で、それはマロ眉毛と呼ばれていました
そしてマロにも同じ模様があったのです
退院の時、初めて首輪とリードをつけて、マロは野良犬から私達の家族になりました
実は私達が色々準備して楽しみに待っていた退院予定日は年に一度の「ホーリー」と呼ばれるヒンドゥー教の水かけ祭りの日でした
それは春の訪れを祝い豊作を願って色をつけた水や粉を通行人にかけるお祭りです
水風船や水鉄砲も使われます
マロを連れて外に出るのは危険なので、退院は翌日に延期されました
ネパールには「ティハール」という、人と犬の絆を祝うヒンドゥー教の祭日もあります
人々は犬達に「マラ」と呼ばれる綺麗な花の首飾りをして犬への尊敬と賛辞を示し
「ティカ」と言われる赤い印を額に付けて、美味しい食べ物をあげます
(おすましウィッシュ)
だからネパールの人達は野良犬にとても優しく、彼らにとって決して安くはないクッキーを買っては犬にあげています
退院後、マロは私達の家に着くや否や、部屋の隅でう○ちをして、ママがそれを拭いている間に別の隅でまたう○ちをしました
だって彼はその時まで野良犬だったのですから
そしてお腹が空っぽになった彼はドッグフードを沢山食べて、初めてパパの膝の上で安心しきった様子を見せました
バケツで暖かいお風呂にも入りましたが、ママに洗ってもらってとても気持ちよさそうでした
貧しいネパールの家にはお風呂も温水シャワーもないのでひと苦労でした
大きな音の出るおもちゃに驚いたり、バナナを食べたり、悪戯をしたり、私達とベッドでまったりしたり、お散歩に行って色んな動物と出会ったり、全てが初めての毎日でした
私達は最初マロの里親を探したのですが、見つからなかったので、私たちの家族として迎えました
彼は賢くて直ぐにお手やお座りも覚えました
夜はパパの腕の中でないと寝ようとせず、パパは毎晩マロが眠るとそっとベッドに運びますが腕を外すと目を覚ますので、まるで人間の赤ちゃんのように大変でした
だけど私達は幸せで、マロがいない暮らしはもう考えられなくなっていました
しかし、COVID-19のせいでネパールはロックダウンになり、空港が閉鎖され、生活必需品も買えない状態になりました
そしてある日とうとう在ネパール日本大使館から、チャーター機を出すので帰国希望者は至急連絡をと言うメールが私達に届きました
しかし犬は背中に太い注射器でマイクロチップを挿入し、狂犬病予防注射を2回打って日本政府承認の機関に血清を送り抗体が出来たことを証明してもらって6ヶ月経たないと日本に入れません
狂犬病発症までに最長で6か月かかることがあるからです
日本では1957年以来、発症例がないので入国には厳しいチェックがあるのです
マロは全ての入国条件に該当しませんでした
もし検査せずに日本に行けばマロはひとりぼっちで180日間隔離されます
そんな可哀想なことは到底受け入れられませんでした
私達はとても悩みましたが、どうしてもマロを置いて行くことが出来ず、チャーター機には乗らずにネパールに残る決心をしました
そしてロックダウンは続き、店から食べ物もなくなり苦難の日々が始まったのです
つづく、、、
筆者:Bo Giant
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